「モナミ」は1979年頃から82年頃まで、東京都江戸川区船堀7丁目にあったゲームセンター。
元々はパチンコ店だったが、インベーダーゲームのブームの煽りを受け船堀周辺最大のゲームセンターとなった。
現在は何かの会社になっているが建物自体は存在している。
(写真はモナミでなく、これまた千葉県の松戸にあった伝説のゲームセンター「メクマン」をイメージとして使用)
私はここで、ほとんどのテレビゲームのクラシックの名作を見たり体験した。
暗がりで怪しく発光する無数のビデオ・モニターたち。
電気音楽家としての米本実の生誕の地と言っても過言ではない。
この伝説のゲームセンターである船堀のモナミを、
大切な思い出として心に仕舞ってある人と、
呑みながら語り合うのが夢だ。
まるで春の桜のように、
ある時期にパッと華やかに咲いて、
あっと言う間に散ってしまう、
そんな儚い都市の文化に、
何とも言えない切なさと魅力を感じる。
2016年10月5日(水)現在、「船堀 ゲームセンター モナミ」で検索すると、
ネット上でモナミについて語っているのは、今のところ私だけだった(笑)。
最初パチンコ店だったモナミは、
建物の半分をゲームセンターにして様子をみていたようだが、
ある時期から全面的にゲームセンターになったと記憶している。
モナミの思い出をブログに書きためて、
本として出版して、
更に映画化するのが私の野望(笑)。
まず手始めに、
記憶にある限りのモナミでの思い出や、
出会ったゲームたちをブログにまとめていこうと思う。
↓モナミでプレイしたゲームのリストは下記へ。
関連記事
●「モナミ」 江戸川区 船堀 にあったゲームセンター でプレイした懐かしのアーケードゲームたち 懐ゲー 昭和レトロ
今後整理していくが、まずはメモを。思い出したら追記していく。
●やはり当時のゲームセンターは、
西部劇やスターウォーズの酒場のシーンのように、
なかなか厳ついおともだちがたくさんいたので、
恐喝などの怖い思いをたくさんしたが、
それでも行きたくてしょうがなかった(笑)。
●土曜日の午後は友人たちとモナミで過ごすことが多かった。
お小遣いは限られていたので上手い人のプレイをずっと見ていた。
怪しげな暗がりの中のモニターたちと電子音が渦巻く空間にいるだけで幸せだった。
●シングル盤「ディスコ・スペース・インベーダー」の宣伝ポスターが貼ってあった。
●大好きなギャラクシアンをプレイしているとき、
YMOのライディーンが有線で流れてきて幸せだった記憶がある。
ギャラクシアンがある程度うまいことは、友人の間でそこそこ知られていた。
●モナミとの記憶が最も結びついているゲームは、
アストロファイター、アステロイド、銀河帝国の逆襲。
●特にアストロファイターは明らかにスターウォーズのタイファイターを意識したキャラクターが出てくるので大好きだった。
●カウンターのお兄さんに落ちていた硬貨を正直に届けたところ、
銀河帝国の逆襲を2クレジットやらせてもらった。
●カウンターのお兄さんは軽いリーゼントに柄物のシャツ、
何となく堅気じゃない感じのお方だった。
パターンを完全に把握しているようでずっとパックマンをやっていた。
なのでプレイしているときには周りに人だかりが出来ていた。
彼のおかげでコーヒーブレイクのいろいろなパターンを楽しんだり、
フルーツが13面から「鍵」が続くことを知った。
●親戚のおじさんに連れて行ってもらってたっぷりとプレイさせてもらったことが何度かある。
そのおじさんには今でも感謝していて、
再会したときにはその思い出を語り合うことがある。
●2016年の10月頃にモナミのあった建物の向かいのお弁当屋さん「ほっかほっかの弁当 船堀店」のお母さんに伺ったところ、
30年前にお店を始めた頃には既にゲームセンターとしては終わっていたことが確認出来た。
「パチンコ屋だったみたいね」とおっしゃってたことから、
開店当時にはパチンコ屋としてのネオンや看板は残っていたようだ。
関連記事
●ほっかほっかの弁当 船堀店 持ち帰り弁当 東京都 江戸川区 船堀 からあげ弁当 伝説のゲームセンター「モナミ」少々
●更にこのお弁当屋さんの並び左隣数軒先にも小さいゲームセンターがあった。
閉店してからもかなり長く電飾看板が取り付けられたままだった。
ムーンクレスタ、ルパン三世、シェリフなどをプレイしたが、
最も思い出に残っているのは、
サン電子の「ワープ1 (WARP-1)」とシネマトロニクスの「スターホーク」だ。
●この時期の思い出が強烈過ぎたため、新しいゲームにはあまり興味が無く、
私は1985年(高一)のグラディウス頃から既に懐ゲーマニアとして友人の間で知られていた。