全ての音楽は「錦糸町」か、「錦糸町でない」かに分類できる


自分の好きな音楽について考察を重ねた結果、ブログのタイトルのような結論に至りました。そのことについてまとめました。

1. 音楽の力、記憶のトリガーとしての…

 ある体験が懐かしい記憶のトリガーとなるように、芸術作品全般には、ある種の感覚や記憶を思い出させる力がある。匂いと音楽には、その力が特に強いと昔から思っている。ある楽曲が、失恋の記憶を引き出したり、楽しかった出来事を、そのときの空気感も含めて想起させる。この感覚を一言で表現するのは難しいが、ここでは仮に”ノスタルジー”という言葉を使うことにする。
 作曲理論や楽曲を分析的に聴く訓練、演奏技術の評価、歴史など、音楽を専門的に学ぶと、この”ノスタルジー”の力を見落としてしまうときがある。ラジオのリクエスト番組などを聞いていると、多くのリスナーが、ある楽曲と自分の思い出とを深く愛情を持って結びつけている。「自分にとって、どんなにくだらないと思う音楽でも、それによって救われている人がいる」とは、音楽仲間の松島玉三郎氏の言葉である。懐メロが野太い人気を保ち続けるのも、この”ノスタルジー”によるものであろう。
 こういった”ノスタルジー”を科学的、あるいは音楽学的に分析することは、かなり難しい。個々人の音楽の思い出を、サンプルとしていくら集めても無意味であるし、そもそも普遍的な何かに辿り着けるものではないだろう。しかしこの捉えどころの無い力が、音楽の最も大切なところであると私は信じている。マーケティングや流行、ニーズなどを分析することで、ある程度の評価が得られる楽曲を制作することは可能である。90年代以降、その工業的楽曲制作を前面に押し出したレコード会社も台頭してきた。しかし私のエゴや勘違いであるとしても、言葉に出来ないある種のノスタルジックなイメージや感覚を伝えようと楽曲制作している、あるいは伝えようとしていると感じさせてくれる作家に、私は常に興味がある。
 音楽を聞いて、情景を思い浮かべたり、思い出に浸ることが好きだ。いつからか、その感覚を自分の中で相対化し考察を始めた。と、同時に人々がどのように音楽と接しているのか、もっと知りたくなった。音楽好きの人と食事や酒の席、パーティーなどで、その人の好きな音楽と、それにまつわる思い出を聞くことを続けた。それを繰り返している中で、逆に自分自身の中にある音楽観に気付いた。

2. 全ての音楽は錦糸町か、錦糸町でないかに分類できる。

JR錦糸町駅のホームから
 自分の好きな音楽を研究していて辿り着いた1つの結論。それは、全ての音楽は、錦糸町か錦糸町でないか、に分類できるということである。つまり下記の表-1のように、まず大きく錦糸町と非・錦糸町に分類され、その中で、一般的なジャンル分けがされていくのである。

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錦糸町--------ロック
           歌謡曲
           クラシック
           ジャズ
           クラブミュージック
           民族音楽
           イージーリスニング
            ・
            ・
            ・

非・錦糸町------ロック
           歌謡曲
           クラシック
           ジャズ
           クラブミュージック
           民族音楽
           イージーリスニング
            ・
            ・
            ・
表-1
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 念のため、錦糸町をご存知ない方のために簡単に説明すると、東京都墨田区にあるJR錦糸町駅周辺の繁華街である。墨田区、江東区、江戸川区近辺に住む人々にとって、かつては最大級の盛り場で、日曜日に家族や恋人と、ショッピング、映画、食事などに出かけるとすれば、大概は錦糸町に出たものだった。そういった総合レジャー施設的な空間には、必ず緩いラウンジ的な音楽が流れており、つまり、買い物して、結末にイマイチ納得出来ない映画を見て、食事をして、ゲームセンターで遊ぶといったごく当たり前の日曜日的体験を想起させる音楽を「錦糸町」と名付けた。もし錦糸町にピンとこなければ、あなたの地元で、前述のような体験をした場所を思い出してほしい。近年定着しつつある「昭和レトロ」というキーワードで考えてもらっても間違いはないだろう。

 以前から酒の席やパーティーなどで、錦糸町を知っている人に、このことを話すと、もの凄く共感を得たり評判が良かった。いつかテキストにまとめて欲しいと言われていたので、今回ついに文章化を試みてみた。元々東京に住んでいる人も、他の地域から来た人も、ちょっと古い時代の錦糸町を知っていれば、都内にも関わらず、独特の地方都市感丸出し、でも精一杯イケてる町を演じようとしているところに、親しみと愛情を持つのであろう。ローカル感覚を楽しむという高度な趣味人の町。私は旅行に行ったとき、各地の観光名所などにはまったく興味がない。なぜなら、その土地にある繁華街で錦糸町的なものを見つけることが、何よりの楽しみなのだから。

3. 具体的なジャンル、音楽形式について

 ここまで読んでいただくと、そろそろ具体的な楽曲について興味が湧いてきたことと思う。「ごく当たり前の日曜日的体験を想起させる音楽」といって、みなさんはどんな音楽を思い浮かべるだろうか。やはり、まずは緩いラウンジ的な音楽ではないだろうか。となると必然的に、音楽のジャンルとしては、イージー・リスニング、フュージョンに集中する。ポール・モーリアの有名なトラックは、全て条件を満たしているし、同じ系列のムード・ミュージックの楽団も然り。歌謡曲をインストゥルメンタルにアレンジしたもの、映画音楽やクラシックの緩いポップス風アレンジなどもかなりGood。もう少し小さな編成、つまりバンド・サウンドであれば、クロス・オーバーやフュージョン、AOR。その他のジャンルでも錦糸町トラックはあるが、かなりこの辺りに集中する。強いて具体的に一枚アルバムを挙げるとすれば、ボブ・ジェームス/タッチダウンは強力な錦糸町作品だ。
 研究の結果判明したことは、録音時期は1970年代前半から80年代中盤に多く、曲調としてはスローからミディアム・テンポで、ややメジャーの調性が多く、リズム楽器は重要ではあるがあまり強調しないなど。使用楽器の傾向としては、フェンダー・ローズやウーリッツァーといったエレピが挙げられる。したがってスティーヴィー・ワンダー(本人はもちろん、しょぼくアレンジされたものも含む)の作品はかなり当てはまる。更にヴィブラホン、フルートが入っていれば、より錦糸町色が強くなる。もっと贅沢を言えば豪華なストリングス・セクション(リバーブ深め)があれば最高!もちろんこれらの特徴はあくまでもパートの問題であり、音楽は全てが組み合わさって成立するトータルな質感も大事なため例外はたくさんある。MISIAの「Everything」のプロデュースで知られる「冨田ラボ」の冨田恵一氏の言葉を借りれば、ある種の「ムード」のある音楽と言えるだろう。いずれにしても、この辺りを意識して頂ければかなりの錦糸町トラックを発見できる。お天気チャンネルや株式情報のBGMなどは、それなりに狙い目だが、最近はMIDIによる打ち込みサウンドが多いので残念な傾向にある。
 先に説明した錦糸町という町の特徴を、単なるB級テイスト、アナクロということで理解されてしまうと、セールス的にも成功し、音楽的評価、芸術的価値も高い音楽は、錦糸町ではないのでは?との誤解を与えてしまうことが多い。確かに私が錦糸町として認定した曲の中には、強い批判と反対意見が出たものもある。しかしこの問題は既に解決していて、私が錦糸町と言えば錦糸町という極めてシンプルな結論に達した。

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4. 錦糸町にまつわるエトセトラ、フラッシュバック

 基本的にはテクノ・ポップ、ニューウェーブと言われる音楽に傾倒し、そのような楽曲を作ってきた自分ではあるが、音楽の関心には常に錦糸町が含まれていたので、中学生の頃から、自分の活動にロックという言葉を使うことに常に違和感、つまりロック・コンプレックスがあった。いろいろと生きてきた中で、現在の自分の活動に対する考えは、コンセプトやスピリットの面では、やはりロックであると思っている。相も変わらず音楽形式的には節操はないのだが。

 私が錦糸町という言葉に確信を持てたのは、先にも登場した松島玉三郎氏のおかげである。松島氏は、私など比べ物にならないほど、イージー・リスニング関係に詳しい方で、私が初めて錦糸町ということを説明し、その意図に深く共感してくれた方だった。実際に松島さん宅にお邪魔して、膨大なコレクションの中から、錦糸町っぽい、錦糸町っぽくないを聞き分ける、そんな時間も共に過ごした。かなりの錦糸町トラック(もちろん意見の分かれる曲もあったが)を発見、または再発見した。

 子供の頃、父には錦糸町によく連れて行ってもらった。駅ビルの屋上にはお約束のようにペットショップや熱帯魚屋、ゲームセンターがあった。既に音楽と機械好きだった私は、よくジューク・ボックスで音楽を聞いた。レコードを取り出してかけるメカニカルな仕組みが好きで、家で聞くオーディオとは比べものにならない低音の迫力に感動した。初めてお子様ランチを食べたのも錦糸町だった。偏食で食事に恐怖を抱いていた太宰治チックな私は、あまり食べることができず、でも、そんな私を怒らなかった父には今でも感謝している。帰りに、おもちゃ売り場で買ってもらったミニカーと同じものは、今でも引き出しにある。
 私が初めて見た洋画はスターウォーズだった。夏の夕方、会社から帰った父とバスで錦糸町に行き、江東リッツという映画館で見た。字幕を読むということも初体験で、細かい意味は判らなかったが、映像の迫力に圧倒された至福の時だった。
 私が通っていた高校も錦糸町に近く、土曜日や試験で早く帰れるときなどは、友人と錦糸町に出て遊んだものだった。

 恥ずかしながら、私自身の錦糸町についての思い出を書いたが、このような体験から、現在でも錦糸町に行くと、これらの楽しかった感覚がフィードバックすることがある。その後も、スターウォーズ・シリーズ全7作は全て錦糸町で見ている。当時最後のスターウォーズと言われたエピソード3のスタッフロールが終わったと同時に、ヘッドフォンをつけて、MP3プレイヤーをONにした。松島氏に教えて頂いた錦糸町トラックを聞きながら、映画館を出て軽く町を散歩した。錦糸町トラックを現地で聞く貴重な体験だった。
 錦糸町トラックの素晴らしいところは、楽しかった思い出を思い出して、楽しくなるのはもちろんだが、リアルタイムでは楽しくなかった体験(体調不良、家族とのケンカ、イベント内容に不満がある)も時間が経って、何となく笑えるようになる、そんな記憶を再演出してくれる効能もある。

 大学時代の友人が錦糸町近辺に住んでいる。数年前、久々に会うことになり、錦糸町駅で待ち合わせをした。時間があったので駅ビルのトイレへ。トイレから出るとアントニオ・カルロス・ジョビンの名曲「WAVE」のへぼへぼなアレンジが流れていた。階段の踊り場の天然リバーブと混ざっていい塩梅。「あぁ~っオレは今、錦糸町にいる!」と感動したひとときだった。

5. 最後に

 先日も、私の家に遊びに来た若者たちと、錦糸町の話題になり、東東京の文化水準の基本は錦糸町であり、全ては錦糸町にあるかないかで、評価できるということで盛り上がった。「業平橋駅」が「とうきょうスカイツリー駅」へ名称変更されることに抵抗があるとか、若い世代にも、脈々と錦糸町感覚が生き続けている手ごたえ感じて嬉しいひとときだった。錦糸町ネバーダイ!

 ちょうどこの原稿を書いているとき、深夜の商品宣伝チャンネルで「大人のバラード」というオムニバスCDの紹介していた。極上の錦糸町トラック満載で感動。「アルフィー/ディオンヌ・ワーウィック」、「イフ/ブレッド」、「ラスト・ワルツ/エンゲルベルト・フンパーディンク」、「マイ・シェリー・アモール/スティーヴィー・ワンダー」、「マホガニーのテーマ/ダイアナ・ロス」など。もちろん全てA級の名曲だけれど、サウンドの質感がかなり錦糸町的。その中でも極上トラックが「雨に微笑を/ニール・セダカ」だった。テルミナ(駅ビル)のレストランフロアーにある不二家レストランで、ランチを食べてるときに流れてきたらかなり幸せだと思う。または古い内装の喫茶店でモーニングを食べ、ウインズ錦糸町(場外馬券場)から流れてくるオヤジたちを見ながら聞きたい。

 まだ錦糸町に行ったことのない方、すみだトリフォニーホールしか行ったことのない方、多少昔の名残があるので、ちょっと駅から離れて裏通りを散歩してみることを薦める。
 何も結論はないが「米本さん!これ錦糸町じゃないですか?」という楽曲、お待ちしております。

☆ボーナス・トラック☆
 私が勝手に錦糸町スピリッツを大いに持っていると思っている怪人音楽家仲間の改造ニニギさんが、ポール・モーリアを熱く語るツイートの動画。撮影はハドソンさん。大好きな動画で何度見ても笑ってしまいます。素晴らしい!

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カテゴリー: 日記・コラム・つぶやき, 昭和レトロな日々 | 投稿日: | 投稿者:

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